2022(令和4)年度(第24回)1.坂口 幸弘(関西学院大学 悲嘆と死別の研究センター)

○研究テーマ

『死別後の悲嘆プロセスにおける収骨の持つ意味』

○事業内容 ※概要のみご紹介させていだきます。

本研究の目的は、亡き人の骨を拾う「収骨」が、遺された人の悲嘆プロセスにどのような意味を持つのかを検討することである。
研究1として、コロナ禍において収骨が叶わなかった遺族と、収骨を経験した遺族にインタビュー調査を実施し、死の受け止め方や収骨と遺骨への思いなどを探求した。主な語りとして、収骨が叶わなかったAさんは「骨になって帰ってきたけど、それが父だとは到底思えない」「まだ父がどこかで生きているのではないかと思う」と話し、「火葬や収骨や葬儀がちゃんとできていたとしたら、こんなに苦しくなかったかもと思う」「コロナ禍で制限されたものではなく、普通のお別れがしたかった」とも語られた。収骨を経験したBさんは「時とともに、実際にはいないことを実感している」と話し、「骨になってしまった姿はかわいそうで仕方なかったけど、今は遺骨が愛おしい」と語られていた。
研究2では、2020年~2023年に死別経験があり、かつその際に喪主を経験した40歳~79歳の男女500名(国勢調査による、エリア×性別×年代別の人口動態割付に従う)を対象に、収骨にともなう感情や意識、収骨の実施と複雑性悲嘆との関連性などについて質問紙調査(インターネットリサーチ)を行った。調査は、WEB調査会社に委託した。対象者の平均年齢は、60.5歳(標準偏差:SD=8.68)、2020年以降に回答者自身が喪主を務めた葬儀において、収骨した人が475名(95.0%)、収骨したかったができなかった人が9名(1.8%)、自分の意志で収骨しなかった人が16名(3.2%)であった。故人の続柄として最も多かったのは、母親225名(45.0%)、次いで父親(32.8%)であった。死の状況は、老衰181名(36.2%)が最も多かった。収骨できなかった9名の死の状況は、悪性新生物2名、新型コロナウイルス感染症3名、がん・コロナ以外の病気3名、その他3名であった。
主な結果としては、収骨した475名に対して「収骨(骨上げ)したとき、あなたはどのようなことを感じましたか」と尋ねたところ、「とても感じた/やや感じた」と回答した人が最も多かった感情や意識は「故人がこれまでよく頑張って生きてきた」(80.6%)であり、次いで「故人ともう二度と会えない」(78.4%)、「もはや絶対に故人が生き返らない」(77.0%)の順であった。他方、収骨を希望したができなかった9名に、「収骨(骨上げ)できなかったことに対して、あなたはどのようなことを感じましたか」と尋ねたところ、「とても感じた/やや感じた」と回答した人が最も多かったのは、「当時の状況を考えると仕方がない」(88.9%)であり、次いで「故人がまだどこかで生きているような気がする」(77.8%)、「家族に骨を拾ってもらえず、故人がかわいそう」(77.8%)と続いた。
収骨を含む、死と関連した各種儀礼について、どの程度大切だと思うかを尋ねたところ、収骨の場合、回答者全体の87.0%が「とても大切である/やや大切である」と回答した。その割合は、通夜(69.6%)や四十九日などの法要(72.6%)といった他の葬送儀礼に比べて最も高く、一連の儀礼の中で収骨が重視されていることが示唆された。収骨を大切に思う意識に性差はみられなかった一方で、年代との有意な関連性が示された(カイ二乗値:x2=11.758,p値:p=.008)。収骨は大切と回答した人の割合が最も高かったのは70代(96.7%)であり、最も低かったのは40代(80.0%)であった。
複雑性悲嘆評価尺度(Inventory of Complicated Grief)の得点(ICG得点)に基づき、複雑性悲嘆のリスク評価を行った。対象者数に大きな偏りがあり、統計学的な有意性は認められなかったものの、複雑性悲嘆の高リスク該当者の割合は、収骨した人で475名中105名(22.1%)であったのに対して、収骨できなかった人では9名中4名(44.4%)であった。
収骨経験と“遺骨観尺度”の関連を検討した結果、収骨経験と、[心のよりどころとしての遺骨]因子(F値:F(2.497)=6.83,p値:p=.001)、[神聖な物としての遺骨]因子(F(2.497)=13.23,p<.001)、[面倒な物としての遺骨]因子(F(2.497)=5.44,p=.005)、[物としての遺骨]因子(F(2.497)=5.44,p=.005)との有意な関連性が見られた。多重比較の結果から、収骨した人や収骨したかったができなかった人は、自分の意志で収骨しなかった人に比べ、遺骨を心のよりどころとしてとらえ、神聖なものと感じている傾向がみられた。他方、自分の意志で収骨しなかった人は、収骨した人に比べ、遺骨をただの物と考え、面倒なものとしてとらえがちであることが示された。
なお、火葬場での収骨時における、家族・親族や参列者・葬儀社職員・火葬場職員・宗教者などの態度やふるまいに関して、「満足/やや満足」と回答したのは418名(88.0%)、「不満/やや不満」と回答したのは241名(5.0%)であった。「満足/やや満足」の具体例としては、「滞りなく終われたから」「丁寧に故人と遺骨を扱ってもらえたから」「骨が体のどの部分か丁寧に説明してくれたから」などが挙げられた。他方、「不満/やや不満」と回答した人の具体例としては、「事務的に思えたから」「もう少しゆっくりお別れしたかったから」「点火ボタンを押すことを強要されたから」などが挙げられた。

○事業者のコメント(事業実施により得られた効果)

本研究では、コロナ禍でその意義が改めて注目された葬送儀礼において、「収骨」が遺族の悲嘆プロセスにおいて果たす役割について心理学的な視座から検討した。研究1のインタビュー調査と研究2のオンライン調査の結果から、「収骨」の効果として、「故人ともう二度と会えない」「もはや絶対に故人が生き返らない」など、遺族に故人の死の現実を突きつけ、悲嘆プロセスの一部である「死の現実を受け入れること」(ウォーデン,2022)を促すことが示唆された。また、9割近い遺族が葬送儀礼の1つとして「収骨」を重要視しており、コロナ禍で「収骨」が叶わなかったことで、「故人がどこかで生きているような気がする」など、死の現実を受けとめきれない遺族がいることも示された。遺骨に対する意識の差異によって「収骨」を望まない遺族もいるが、「収骨」を希望したにもかかわらず、叶わなかったことは遺族の悲嘆プロセスに深刻な負の影響を与えた可能性があると考えられる。今回、世代による「収骨」に対する意識の違いもみられたが、遺族の悲嘆プロセスの視点から、「収骨」の意義を再確認し、伝統的な葬送儀礼の1つとして継承していくことの重要性が示されたといえる。